だから何?

人はなぜ生きるのか。こんなのは中学生までで卒業しなきゃいけないテーマなのかも知れないが、この問いを諦めて忘れた時こそ、何だか自分の人生が終わる気がしてならない。

相変わらず人生は意味不明だ。お金を稼ぐだの、愛し愛されるだの、楽しむだの苦しむだの、それらは表層に過ぎない。いつでもこう言える。「だから何?」

だから結局何なのだろう。目的にも目的がある。それをマトリョーシカ人形の様に繰り返し中身を確認しても、結局そこにはまた同じ人形がいて、こう言う。「だから何?」

私は結局いつもここに辿り着く。人生を本気で生きている気がしない。むしろ何故そんなにまで本気になれるのだろう。ある程度自分を騙さないと、無理だろう。

なぜ権力が好きな人は多いのだろう

なぜ権力が好きな人は多いのだろう。自分にもそんな時期があった様な気がしないでもない。思い返してみよう。

権力だのステータスに憧れていた時の自分は、とにかく自分に自信がなかったと思う。とにかく世間だの他人だのに対して引け目を感じていた。もちろんその気持ちは隠し通していたが。

自信…自信とは何だろう。そもそもこの言葉からしておかしいのだ。信じる必要があるということは、裏を返すと疑っている。自信とは、それがあってもなくても、結局は自分を肯定できないことに立脚している。

今思うととにかくみっともない。弱くて臆病な自分を隠すため、権力に憧れる。いやむしろ権力を利用している。

哀れだ…ひたすらに哀れだったな。

偽カリスマ

悩みを聞いてくれる人間(偽カリスマ)は、基本的に詐欺師だと思う。偽カリスマは、頼りにされることを喜んでいる。誰かの悩みが発生した時、「チャンスだ!」と思っている。

いい加減このことに気付かないといけない。あなたを励ましたり、味方のフリをした人間こそが一番の、本当の敵なのだ。

実にシンプルな話で、あなたが悩み苦しむほど、偽カリスマ頼りにされ、価値が上がるわけだ。ならば、悩み苦しむ人は多ければ多いほど良い。こんな単純な理屈に気付けなくなるほど騙されてしまう人は多い。悲しい話だ。

生きるとは不安定であること

人間は、圧倒的に死んでる人の方が多いんだけど、何故かそれを忘れてしまう。そう、生きている状態の方が珍しいのだ。

私たちはまだ死を経験していおらず、人間としては未熟な存在とも言える。生きているってのは、未熟で不安定な状態だと言って良いんじゃないだろうか。実際、究極に安定した状態って「死」だしね。

死こそが安定で、生こそが不安定。この矛盾を受け入れられる人は少ない。何故か思い上がって完璧を求め出す。自分はデキる奴だとか優秀だとか、やたら自己評価が高くなる。

しょうもないよね。本当に、思い上がった人間程しょうもないものはない。

善と悪。

善と悪。人はすぐこのちっぽけな価値観に縛られる。善から見た悪。そりゃそうだ。視野が半分になってる。視野が半分になってることも忘れて、さも得意げに何かを糾弾する。狂ってる、狂ってるよ。

好きか嫌いか。人はすぐそんなしょうもないことを言い出す。それは自分に合うか合わないかに過ぎない。ただそれだけのことだ。絶対的なものではなく、相対的な価値に過ぎない。

私たちは、基本的に狂っている。基本的に錯覚を繰り返している。思い込みで物事を見ている。

いや、残念ながら人は偏見無くして生きていくことはできない。認識とはつまり、偏見なんだと思う。外国語も、最初は絵とセットで覚えないと認識ができない。同じ様に、物事を認識したり言語と結びつけるには「絵」が必要になる。これが偏見の正体だ。

私たちは偏見の力を借りて生きている。人間とは偏見を用い、錯覚を利用し、自らの脳を騙すことで進化してきた。

逆に言えばとんでもなく不完全で間抜けな動物だと言うことだ。

仕事のできない人がいたとして

仕事のできない人がいたとして、だからなんだというのはある。確かに仕事のできない人は職場で迷惑かも知れない。それはまあ事実だ。だけど、それだけのことでもある。人間としてどうかと言えば、何でもない。

誰もが勝手に産み落とされた。親の都合で。自分の意志で生まれてきた訳じゃない。その意味では誰もが同じだ。

あいつは仕事ができないとか、あいつはクソだとか、そりゃ言いたくもなるよ。でも本当はどうでもいいよね。仕事とか社会とか、人間が勝手に作り出した仕組みに過ぎない。勝手に作られたルールの中で、勝手に作られた競技の中で、誰が優れてるとか劣ってるとか、本当はどうでもいいことなんだと思う。

私たちはこんな単純なことも忘れて、優秀だの無能だの決めつけて感情的になっている。しょうもない、しょうもない…ひたすらにくだらない。

キラキラネーム

キラキラネームをバカにする人は多い。いや、表面上はバカにしてなくても、「子供が可愛そう」とかもっともらしいことを言う。

でもそれ、本当に言う必要あるだろうか。放っておけよ。どうでもいいじゃん。

・そもそも名前なんて原初的なIDなんだから、珍しければ珍しい程良い。

・昔の名前は結構キラキラで独自。何が普通かなんて時代によって変化する。

少子化なんだから、子供の名付けに凝っても良いじゃない。

・親が色んな思いを込めて子供に名を付けた。それをとやかく言う必要はない。

何も触れなければ、問題でもなんでもないのだ。若い子で、少し恥ずかしそうに自己紹介する子がいる。自分は「えー誰とも被らないって良いじゃん」と反応する。別に嘘で言ってる訳でもない。

キラキラネームは良くないとか言う人が、間接的に一番親も子も傷付けている。