人はなぜ権力が好きなのかシリーズ

何かに似てると思った。喫煙者だ。かくいう自分も吸ってたから喫煙自体にはマジで何の偏見もない。

ただ単に、「よく似てるな」と気付いたのだ。喫煙者はとにかく自分を正当化する。それがどんなに非科学的であっても。場合によっては変な陰謀論とか言い出す。本音はただ単に「それがないと落ち着かない、不安」なだけなんだけど笑

権力や権威が大好きな人たちも、それによく似ている。

つまりは、「依存症」であり中毒なんだと思う。それがないと何か不安になる。

この辺はいずれまた言語化しよう。でも本質はかなり似ていると直観的に分かった。多分これ当たってる。

フラフラ

素朴なもの。純朴なもの。美しいもの。この辺を兼ね揃えるとしたら幼児か一部のお年寄りくらいかな。

お年寄りがフラフラと歩いている。可愛い。可愛さは未完成なもの。未完成でいることの無防備さ。

未完成はいつだって自分自身を苦しめる。でもそれは時々誰かを癒す。

お年寄り。あと何年生きるのだろう?もう永くはないだろう。そんなフラフラ歩きじゃね。

幼児もお年寄りもそう。一人で生きることが心許ない存在は、僕の持て余した愛情を呼び起こしてくれる。持て余した優しさを呼び覚ましてくれる。

お陰で僕も僕自身を肯定することができるというわけだ。よく出来てる。

誰よりも可愛い

本当に語る必要がなくなると、人は語らなくても生きていける。何故なら幸福だから。幸福な人間は、何かを語ろうとしない。語らなくても満たされている。

田舎の老夫婦とかに、そんな空気感を見て取れる。田舎の和菓子屋のおばちゃんの笑顔があまりにも可愛くて感動した。

僕と僕の奥さんは、ユルいお年寄りのファンだ。可愛いお年寄りを見つけてはテンション上げて喜んでいる。

素朴な人間は本当に可愛い。誰よりも。

マウント取られたと感じる人

権威主義にはやはり興味がある。なぜ人は権威に憧れるのか?はやっぱり解読してみたいテーマだ。

よく使われる言葉「マウント取られた」「マウント取る奴嫌い」これもまた、ある意味では権威主義崇拝の裏返しだとも思う。何とも思ってなければ何ともないことのはず。マウント取られたと感じたということは、権威の評価軸の中に自分もいるということだ。無視できてない時点で、同じ穴の狢なのだ。

権威主義は根深く社会に蔓延っている。僕自身もそこから脱却できていないかも知れない。情けなく、恥ずかしいことだ。

興味がない=尊重

自分の言葉で語ることで自己を成立させる。軸を作ることで物の見え方がクリアになる。それだけのために。

本当は自分なんてものに興味もないし、何より自分を持っている人間など鬱陶しい。彼の考えを尊重せねばならない。

尊重とか尊敬とか、一見綺麗な言葉に見えるが、その実はただのマナーみたいなものだ。だから面倒くさい。本当は他者の価値観などどうでも良いし、他人の人生にも全く興味がない。

興味がないというと嫌な奴だと思われるかも知れないが、それは逆説的に、本当の意味で「他者の尊重」とも言えないだろうか。

全部嘘

人生の目的を失った時、人は死ぬのだろうか。正直自分にはその目的がない。かと言って欲しいとも思わない。何故ならそんなものは結局自分を騙すための方便でしかないと分かっているから。

人生において、頑張ってみたことは色々ある。恋に勉強に仕事に家族に…ても今思うと、そんな自分に酔うことで有り余るエネルギーと時間を消費していただけな気もする。なんだか良く分からないが、暇つぶしというか好奇心というか。正直に言えば「全部嘘」だったとすら思う。

私はずっと嘘をついて生きている。これは多分本当だ。とにかく皆がそうするから自分もそうしている、程度のことがほとんどだ。他人に対してもそうだ。ただ話を合わせているだけで、内心はどうでも良いと思っている。

そもそも人間は面倒くさい存在だと思っている。人間は怒りっぽいし傷付きやすいし、とにかく扱いが大変だと思う。だから極力関わらない様にしている。