善と悪。

善と悪。人はすぐこのちっぽけな価値観に縛られる。善から見た悪。そりゃそうだ。視野が半分になってる。視野が半分になってることも忘れて、さも得意げに何かを糾弾する。狂ってる、狂ってるよ。

好きか嫌いか。人はすぐそんなしょうもないことを言い出す。それは自分に合うか合わないかに過ぎない。ただそれだけのことだ。絶対的なものではなく、相対的な価値に過ぎない。

私たちは、基本的に狂っている。基本的に錯覚を繰り返している。思い込みで物事を見ている。

いや、残念ながら人は偏見無くして生きていくことはできない。認識とはつまり、偏見なんだと思う。外国語も、最初は絵とセットで覚えないと認識ができない。同じ様に、物事を認識したり言語と結びつけるには「絵」が必要になる。これが偏見の正体だ。

私たちは偏見の力を借りて生きている。人間とは偏見を用い、錯覚を利用し、自らの脳を騙すことで進化してきた。

逆に言えばとんでもなく不完全で間抜けな動物だと言うことだ。