バカは1人もいない、もしくは全員バカ

日本人の多くはバカだとか、平気で言う人がいる。でもそうでもなくて、単純に文化や価値観の違いなんだと思う。例えば全く生活様式の違う社会だとか部族なんかがいたとして、それをいちいちバカだと言う必要があるのだろうか。

本当に下品だなと思う。

たとえ非科学的だったり非論理的に見えてもそれを信じることで成り立つコミュニティがあるなら、尊重しても良いと思う。あらゆる組織には独自のルールや決めごとがあるし、楽しさのツボみたいなのも違うわけで。

騙されていても、それが楽しい人もいる。いや、あらゆる人は何かしらを信じているわけで、信じると言うのは自分を騙すということだ。幸福とは騙されることなんだと思う。

バカは1人もいない。もしくは全員がバカってことで良いじゃん。

人間社会の仕組み

人間は常に不安である。これはもう逃れられない。何故なら必ず死ぬからだ。

唯一不安をなくすこどができるとしたら、死を恐れなくなることだと思う。

 

人は必ず死ぬ→不安である→不安をなくすために活動する(仕事)→そのための練習として「遊ぶ」(娯楽)

 

割とこんな感じで世界は成り立っている。

ただただ佇む

心を無にして

風の音を聞いたり

目を閉じたり

眠る様に起きたり

何物にもとらわれず

ただそのままに

この世界や

この社会の中に

ポツンと置かれた

何でもない実在として

憎くもなく

楽しくもなく

悲しくもなく

ただ静けさの中で

静かな心で

無の中で

語らず

追い求めず

追われず

どこまでいけるだろう

きっといける筈だ

全てを捨て

スイッチをオフにして

ただただ佇む

思い込みを突破しなければ

どこかで

思い込みを突破しなければ

何もしないことが

まるで悪いことだとか

そんな風に思ってしまう

これはなぜなのか

なぜそう感じてしまうのか

何に囚われているのだろう

暇であり

感情の起伏のないこと

これこそが

素晴らしいはずなのに

ボーっとしたり

目を閉じたり

何も考えない様に

何も感じない様に

退屈はダメなのか

この世界とか社会とか

考えてみると

本当に必要なものは何か

そんなものはあるのか

ただ生きる

ただ単に生きる

それが何故ダメなのか

それが何故退屈なのか

暇なのか

何もしてないと不安になる

これはある種の

病気なんじゃないだろうか

何故人は

そんな風にできているのか

暇である

退屈である

これほど贅沢で

素晴らしいことはないはずなのに

なぜだろう?

ストレスの正体

ストレスは、我慢したり状況が分からなかったりで「動けない」ことから生じる。だから運動したり暴れたり踊ったりして動くとストレス発散になる。

動けないという脳の状態を、動いたことで正常化するわけだ。

幸福=不幸

幸福な時。

寒い夜のお風呂

疲れた体にマッサージ

仕事の後の家族や恋人

空腹時の最初の一口

厳しい練習の末の勝利

結局いつも、ツラい何かがあってこそ幸福を感じることができる。幸福はつまり不幸とセットなのだ。インスタや何やらで幸せ自慢するのは、イコール不幸自慢でもある。幸せアピールは不幸アピールなのだ。

このことに気づくと、全ての謎は解ける。底無しに幸せを追求し続ける人は、底無しに不幸なのだと思う。それが生きる動機になっている。

良いとか悪いとかいうつもりはない。私も幸福が大好きだ。でもなんか、虚しく感じる時がある。