成長というビー玉

大事なことは、人間は誰もが0歳児だということです。泣き喚くことしかできなかった0歳児が様々なことを「身につけて」成長していくわけです。言葉も道具です。知識も道具です。肉体すらも道具です。乗り物に乗っている状態であって、運転手はいつまで経っても運転手のままです。運転手はいつだって0歳児です。

この前提に立つと、ある人間のあらゆる知識や経験や価値とかは、その人間の「所持品」であり「乗り物」に過ぎないと気付くことができます。結局、人間そのものには全く差がないのだと思います。そう考えると、人と比べることがいかに無意味で不毛なことか気付けるでしょう。

人間的な成長を美徳の様に語る節があります。その考えを否定するつもりはありません。でも結局それって自分の所持品というかコレクションを増やしているだけだとも思います。ビー玉を集めている様なものなのです。

知識、経験、財力、筋力、人脈、思想…本質的には全てビー玉だと思います。私たちは子供の頃からずっと、ひたすら「ビー玉集め」を続けているんだと思います。