「有能」というエラー

基本的に人間は無能です。無能で良いと思っています。むしろ有能であることがエラーなんだと思います。危険に対するリスクを意識できなかったり、痛みをネガティブなものと捉えなかったり、強烈な性欲を持っていたりすることにより、少し感覚が麻痺した人が「努力」や「冒険」や「挑戦」を好み、頑張ります。

事実としては、有能な人間の方が圧倒的に少数なわけです。有能な人間こそがエラーである可能性があります。

勿論有能な人間が社会に多くの恩恵をもたらしてくれたりもしますが、誰もが有能である必要はないと思いますし、自らの無能さを嘆いたり引け目に感じる必要はないと思います。「正常」であると安心すれば良いのです。むしろ、ノーマルな人間が無理に「有能」になろうとすることの方が有害かも知れません。わざわざ競争を加速させたり、幸福や満足のハードルを上げていく必要はないと思います。

なぜ「努力」という言葉があるのか。それは本能的にやりたくないことをやっていることを意味します。有能な人にとってそれは努力ではなく「好奇心」だったり「コンプレックスの克服」、また「性欲」程度のものです。

興味のないことを頑張る、それは努力というより「我慢」です。我慢によって成立した社会システムは、人々にずっとストレスを与え続けます。

幸福という宝物の置き場所を、背伸びしてなんとか届く場所にわざわざ定める必要はありません。それを取り出すために、いつも背伸びをしなくてはならなくなるからです。背伸びした状態は不安定です。私たちが生きることに謎の不安を感じるのは、有能な人間というごく稀な対象を「目指すべきもの」と考えてしまっているからなのかも知れません。